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羽虫
2007年10月18日
料理の飾りを探しに藻岩山を散策。
土の湿った香りに自分が冬眠前の虫になった想像をする。
枯葉の布団に包まれながら越冬の為に、たらふく食べたご馳走を思い出し長い眠りにつく。

山の中にいると人は自然の生き物なのだなと感じる。

生き物であるが為に本能が脳を支配する。
お腹がすいたと思った時に何を食べたいかと考え行動に移す。

「あぁ今日はお稲荷さんが食べたい。」
自分で作ろうか、買ってこようか、はたまたお稲荷さんが美味しい稲々に食べに行こうか。

結局稲々にお稲荷さんを食べにいく。
家からの道のり15分、店に到着し階段を登る。
気のいい男前の店員にお稲荷さんを注文し待つこと15分、懇願のお稲荷さんが出てくる。

リコッタチーズが入った、生まれて初めて食べるお稲荷さんに舌鼓をうち、
日本酒を五合程呑み千鳥足。



道を歩き横断歩道をわたる。
札幌の中心部に生きていて熊に襲われたり、
ライオンにかまれたりと天敵に命の危機を感じることはまずないので、目的地を目指す。
なんてことが無い日常の出来事であるが、これが非現実的と感じた。

非現実をなぜ感じたのか。
極端な話ではあるが、現実は熊に襲われたり、
ライオンに噛まれたりすることにあるのではなかろうか。

乳児期の子供は本能で現実を受け止めていると書いてある本を読んだことがある。
その典型が寝る前のグズル行為だそうだ。

生まれたての子供は小さな命を強くする為に本能で行動する。
泣くことで自分の不安感や違和感を訴える。
腹がへった、オムツが気持ち悪い、眠たい。

しかし、眠いことに何の違和感があるのだろう?

「寝ろよ!」と言いたい。
しかし、これには理由があるらしく人にとって闇は終わりを連想させるらしい。
この事からわかるように、闇を恐れた人は火などの光を生み出した。

か弱く小さな命は眠たくなった時、自分に訪れる闇が終わりを感じさせ、
必死に生きようとする行動が「泣く」という行為になる。

本能の中で自分は終わりに向かっていることを現実としてとらえているのだろう。

大人になるにつれ、その本能は薄れ終わりという事に実感をもてなくなっていく。
自分は死なないと自信をもって道を歩いている自分が非現実なのだ。



死んでしまうと言う事は未知の出来事ではなく、自然の摂理である事を
理解しながらもまさか自分が明日死ぬとは思っていない。

いつどんな瞬間にソレが訪れるかは誰にもわからない。
これはまた、死を恐れると言う事とは違う。 現に事実としてある事をいう。

生きると言う事は、死という現実を含めて成り立つのではないだろうか。

死に向かって生きている生物として、真に生きるということはどのようなことなのであろうか。
山道で餌を運ぼうとする名も知らぬ昆虫は、最後の瞬間まで自分の運命をまっとうしようと、
千切れた羽と土ぼこりで汚れた身体を引きずりながらも巣へ帰ろうと歩いていた。

ぼろ雑巾の様な昆虫は終わりを知りながら、最後の務めを果たそうとしているようにも見えた。