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写真:葉っぱ

いつも背中を見ていた
リヤカーを引いていた母
夏は畑で作った野菜
冬が近づくと 工場でおがくずを拾い集めて
納屋に敷き詰めた

それしか手段はなかった・・・
工場で働いていた母は
チェーンソーに傷つけられて 職を失ったから
生活と引き換えに 自分の指を弔うかのように
糠を拾いに行くよと 私を促した

おがくずは ストーブに入れる度に
ぱらぱらと散って 部屋を汚し
すぐ 燃え尽きてしまう
石油ストーブと入れ替わるように
リヤカーは いつしか消えていた
すす払いも必要なくなった
そのとき 母は安堵しただろうか

リヤカーを引く母の後姿の 孤独と痛み
今になって甦る 苦い記憶
何かを携えながら・・・
時代
2008年11月10日
つい最近まで、母は無免許運転のライダーだったに
違いないと信じて疑わなかった。

私が小学低学年の時通っていた学校は家から遠くて、
両親は一里(4キロ)もあるから大変だと、よく話していた。
いつも利用していた近道は、坂道や森の中、小川など、
起伏が激しく、その日によって、馬が川の近くをたむろしていて、
そこを通るのが恐くて仕方なかった。

もう一方の遠回りの砂利道コースを、
母は時々スクーターで、私達きょうだい3人を乗せて走った。
前輪側に座布団をはさみ、私を乗せ、後部座席に兄と姉を乗せた。

その光景を目撃した学校の先生が驚いたらしい。
砂利道は一人でもハンドルをとられて危険なのに、
4人乗りとはあまりに無謀だ。

交通の不便な田舎では、当時50CCのスクーターに
乗っている親戚のおばさんが他にもいて、
「時々後ろに乗せたはずの子供が落ちているときがあるのよね〜」
などと、平然と話していた記憶がある。

母のバイクに乗せてもらったのは、
転校するまでの一年間だったが、印象深い記憶として残っている。

母はポジティブとか、活発という言葉ではなく、
「勝気」という言葉がしっくりくる。
若い頃は馬そりも、自分で引いて、用事を足すこともあったようだ。

母は離農した後もバイクに乗っていたそうだが、
50CCのバイクの免許は持っていたものの、
ずっと乗っていたのは、125CCのカブだったと最近暴露した。

父の仕事先に二人で乗って、父を送り届ける生活が数年続いたが、
母が37歳の時、手を怪我してしまい、グリップを握れなくなくなり、断念した。

76歳の今でも、「もう少し乗りたかったわ〜」と残念そうだ。
(違反なのに・・)

怪我した左手をかばい、右手に負担がかかり、
腱鞘炎になった時、誰かから蜂の針を刺すと楽になると聞いて、
養蜂の仕事をしていた親戚から蜂を分けてもらい、
生きている蜂のお尻をつまみ、針を押し出し、自分の腕に刺したそうだ。

刺し所が悪くて、アレルギーになってしまったが、
腱鞘炎は楽になったと、何事もなかったかのように話す。

効果があるとは思えないし、何より危険だ。
ショック死に繋がりかねないではないか。
うーむ、無謀だ。


色々な苦労を背負いながら、たくましく生きてきた人だ。